新米かあちゃんのメンタルケア|エンジニアかあちゃん奮闘記

新米かあちゃんのメンタルケア|エンジニアかあちゃん奮闘記

ども~(o’ー’o)ノ

システムエンジニア13-14年目ぐらいのまゆゆです。
前回、「新米かあちゃんの育休と保活」について記事を掲載しました。

今回は、育休中のまゆゆの気持ちに何が起きたかを書きたいと思います。

仕事をバリバリしていた人間が休むとどうなるのか。
エンジニアかあちゃんになる前の新米かあちゃんの姿です。

産後うつではないけれど、、、

産後うつではなかったと思いますが(おそらく)、私はとある感情がずっとありました。

赤ちゃんと2人きりにしないでほしいという気持ち。

大人の誰かと常に喋っていたい気持ち。
なんか寂しいなぁーっていう気持ち。

赤ちゃんが新生児を過ぎたあたりから、この感情に悩まされ、情緒不安定だったと思います。
急に涙が出たり。大人が来ると、途端に元気になったり。ハイテンションになったり。

息子が泣く声を聞くと「やめてくれ、私を責めないでくれ」なんて思っていました。
他の赤ちゃんの泣き声では何も思わないのに、自分の息子の泣き声を聞くと自分が責められているように聞こえました。

良く泣く子で(5歳になった今もですが、、、)
夜泣きも多々あり(夢遊病みたいなのもよく起こりました)
寝るのが下手な子で(今はすんなり寝てくれます)
背中に何かスイッチを仕込んでいるのか、抱っこからおろすとギャン泣き(今も甘えん坊)
抱っこから下ろすのに成功した時に限って選挙カーが通ってギャン泣き(殺意が芽生えるほどの悲しみ)

朝の9時から夜の2時まで自分で組み立てたスケジュールをこなしバリバリ働いていた私
自分の気持ちが満たされるまで好き勝手に使える時間があった私

赤ちゃんを育てるということは、これまでとは違って
自分ではどうにもならないコロコロ変わるスケジュールで
目まぐるしく成長する赤ちゃん相手に適応していかなくてはいけない

多分、私はまだ親になり切れていない状態だったのだと思います。
「ことな」な状態で赤ちゃんをお世話していたんだと思います。

余裕がなかったんですね。

その不安を感じていたときにどうしていたのか。

私は、児童館に通っていました。

児童館って、小学生のお子さんを預かってもらったり、遊ぶ場を提供したりする場所というイメージで、
赤ちゃんが行くような場所ではないと思うかもしれませんが、

私が通っていた児童館は、小学生未満が使って良いお部屋があるところで、おもちゃや絵本がいっぱいあるところでした。
意外に使ってる人が少ない。

私は、児童館の先生と話したくて行ってました。

自分の今の気持ちを聞いてもらえるだけで、安心するんです。
自分の子育てが間違ってないって言ってもらえるだけで、安心するんです。

児童館で先生と話していると、自然と涙があふれている時期もありました。
先生が背中をさすってくれながら話を聞いてくれました。

児童館では、赤ちゃん教室みたいな行事も盛んで、「参加してみない?」と誘われて参加したこともありました。
風呂敷のようなもので遊んだり、紙芝居を見たり。
そこで知り合ったお母さんとお友達になり、その後保育園が一緒になったりと、出会いもたくさんありました。

保育園に行くまでにいっぱいお世話になりました。

新米ママがたくさんたくさん泣いて、ちょっとずつ強くなった結果が、肝っ玉母ちゃんを生成するんですね。