新米かあちゃんの育休と保活|エンジニアかあちゃん奮闘記

新米かあちゃんの育休と保活|エンジニアかあちゃん奮闘記

ども~(o’ー’o)ノ

システムエンジニア13-14年目ぐらいのまゆゆです。

前回、「まゆゆが母になる。」について記事を掲載しました。

今回は、母になったまゆゆの育休中の過ごし方と、エンジニア母ちゃんになるための準備を思い出しながら書いていこうと思います。

新生児は宇宙人

私の周りで多いのは、実家に帰省しての出産をする方が多かったのですが、
私は、実家に帰省せずに自分の家で出産後も生活していました。

実家も車で30分の距離でしたし、主人の義理の母も泊まりがけで手伝いに来てくれていました。
(2週間もいてくれました)

まぁ、なので帰省しなかっただけで帰省したようなもん?

夜は一人で頑張りましたが、そんな環境で慣れない育児を頑張っていました。

新生児の頃は3、4時間おきに授乳。

主人とは別の部屋で寝起き。

寝れる時に寝る。

だけど、赤ちゃんの顔をずっとみていたい。

そういえば。

この時期、主人と面白い現象に陥っていました。

赤ちゃんって何もかもが小さくて。

赤ちゃんを見てから主人の顔を見た時の目の錯覚がすごくて、大人の顔のパーツが異常に大きく感じるんです。
主人も同じ現象が起きていたらしく、今では笑い話の思い出なんです。

ぜひ、新生児を見る機会がありましたら、体験していただきたいです。
大人の顔ってでかいんです(笑)

新生児の頃は産後ハイになっていて、睡眠時間がちょっとだろうが全然元気でした。
痛い目を見るのはその数ヶ月後。

そういえば、当時ちょうど夏のオリンピックが開催されていた時期で、
体操の誰それが拳を上げて栄光の架橋をしていたシーンを授乳しながら見ていました。

普通夜にテレビなんて何も見るものないですが、オリンピックのおかげで楽しい新生児時代でした。

保育園探し開始

1年後に仕事を始めるには保育園を探す必要がありました。

仙台市の保育園申請は10月ごろです。
私の子は6月生まれだったので、生後2ヶ月にして保育活動こと保活を始めました。

近所の保育園の見学会などがあるのでそれに参加したりして
保育園の様子を見るわけですね。

首座ってないので、連れて行くのも大変でした。

しかも8月で夏場ですから。
それはとても気を使いました。

実は既に保育園を見越して混合ミルクになっていたうちの子は、哺乳瓶でミルクを飲んでいました。
保育園なので、ミルクを作るためのお湯なども分けてくれ、おむつ替えもさせてもらえ、至れり尽くせりでした。

出産した病院が同じお母さんと再会したりと、面白いこともありました。

ただ、この保活が実になったかというとならなかったですけどね。私は。

この時に見学した保育園は10月の申請で上位3件ぐらいに記載したのですが、結局4つ目の保育園に決まりました。
(10件くらい希望を出すことができますが、私は4件のみだったのでギリギリでしたw)

うちの子が行っている保育園は園庭が5畳くらいしかない2階建ての小規模です。

当時は心配していましたが、保育園自体でバスを保有しており、少し遠目の公園や畑、遠足などいろんな行事を企画して連れて行ってくれる保育園でした。

今は、この保育園でよかった。

もし次の子が生まれてもこの保育園でお願いしたいと思う保育園です。

仙台市から保育園の合格通知(?)が来るのが12月だか年明けだかなのですが、
開ける時は高校受験や大学受験並みにドキドキしました。

だって、仙台市って全国でみても保育園入所が大変が地域なんですよ。

不合格だったら仕事復帰できないわけですから。。

久しぶりの学生気分でしたw