ども~(o’ー’o)ノ
システムエンジニア11年目ぐらいのまゆゆです。
前回、「Apple信者に進化したまゆゆ」について記事を掲載しました。
ということで、第三回目の今回は、「Apple信者」だった私が「母になる」のお話をしたいと思います。
長いので前編と後編にわけておおくりします。
このブログを書くにあたっては、どうしても語らなくてはいけない事柄があります。
そう、テンダに入社した話!!
3社目の転職先、現在の勤め先であるテンダでのお仕事についてです。
「母になる」のは後編までお待ちください(笑)
目次
もくじ
面接
このブログからは読み取れないかもしれませんが、私は結構な小心者でガラスのハートの持ち主です。
面接時はものすごく緊張したということだけは覚えています!
美人事務員のYさんと、合成技術はお手の物なデザイナーKさんに面接をしていただきました。
iPadを持ち込んで今までどんなアプリゲームを作っていたのかを熱く語ったことを覚えています。
当時、テンダではアプリ開発はそこまでしていなかったのに、私を快く受け入れてくださいました(笑)
最後は、みんなのおじいちゃんHさんと最終面接!
年配の方と話をするのになれていない私はド緊張。
緊張しすぎて何を話したかまったく覚えていないのですが、娘さんと同じ学校出身らしいということだけは覚えています(笑)
テンダ仙台支店は、メンバーも少なく発展途上、事務所も今とは違って小さな事務所でした。
私が入社して3か月後には、新しい事務所へお引っ越しが決定していました。
昔の事務所は、面接の内容もメンバーに筒抜けなほど小さいお部屋でした。
仙台支店は今も発展途中ですが、ちょっとずつ違う発展フェーズに入ってきているのかなと感じる今日この頃です。
下っ端の私が勝手に思っていることですが…。
入社から妊娠前までのお仕事
■最初についたプロジェクトはECサイト構築案件
ECサイトというのは皆さんがよく使っているAmazonとか楽天のように商品を売っているサイトのことです。
久しぶりの業務系のシステム開発、久しぶりに書く設計書。
要件書なんて書いたことないし、お客様とのやりとりの経験も少なかった私。
そりゃーもう、最初から大炎上でした(笑)
大炎上というのは、システムの不具合が多いとか、開発スケジュールに遅延があるとか、メンバーが深夜まで残業しているとか。
つまりは、会社に利益の貢献ができていない状態なわけです。とにかくプロジェクトがうまくいっていないということです。
そんなかんじでスタートしたのがこの案件でした。
私のお客様とのやり取りの経験値のなさが招いた失敗であることは間違いないです。
エンジニア人生2回目の自信喪失時期!
やっぱエンジニアに向いてないなぁ、私。
これ、かあちゃんになった今でもよく思っています。
炎上したこの案件では、今の仙台支店長代理のMさんや、他メンバーにも手伝ってもらって、夜遅くまで試験をしたのは今でも良き思い出です。
終電がなくホテルに泊まってくれたメンバーもいたり、徹夜してみたり。
一人で苦しむだけだったら、きっと今頃ここに私はいません。
会社への利益とかもろもろ考えたらよくないことなのですが、
大変なことはみんなで共有して何とかがんばろうぜ!!
みたいなノリがあるのは、テンダ仙台支店の良いところだと私は思います。
失敗したときは、相手の悪かった部分も鏡にうつしてみるようにしています。
この考え方は、小さいころに父から「環境は鏡だよ」と言われてきたことが影響しています。
これの意味は、
私がにこにこ話かければ、相手も自然とにこにこと笑顔になる。
私が怒りを向ければ、相手も怒りを向けてくる。
つまり、相手が悪かった部分も、実は自分が何かできていれば起きなかったことかもしれない。
その何かを考えて反省することが大事かなと思っています。
全部が全部自分のせいにする必要はありませんが、こんなところに自分が成長するためのヒントが隠れているんですね。
成功よりも失敗したほうがのちに大成するとかもいいますし、
失敗から学ぶことは大切ですね。
現在、私はPL(プロジェクトリーダー)のような立ち位置で動いているのですが、
この案件での出来事は、今の私に大きく影響を与えている案件です。
■JAVA言語を使った管理システム
この案件はちょこっとしか関われませんでした。
テンダ仙台支店メンバーをほぼ投入した案件でもあります。
「作戦:みんながんばれ」というコマンドを選択したのではないかと思うほど(笑)
大変だった気はしますが、みんなでわいわい言いながら頑張ってたのは楽しかったなぁと思います。
帳票を表示する部分を担当し、ライブラリなどを導入して大枠を作りました。
JAVA言語は前々職の転職サイト案件に関わっていたとき以来でしたし、その案件では独自フレームワークを使っていたため、一からJAVAで開発するということに出来るかどうか不安ではありました。
新人の頃の私のコードの書き方は、「森で育ったでしょ?」と先輩に言われるほどインデントバラバラの野性味のあるコードだったわけです。
でも、そこは新人のころとは一味ちがう私!!
前々職、前職で、いろんな案件に関わってきた経験がここで活きてくるんですね。
獣だった私が、やっと人間になれた、そんな瞬間です。
いろんなきたないコード、きれいなコードを見てきたわけです。
そして、先輩方の文句をたくさん聞いてきたわけです。
どう書いたら他の人に見やすいコードとなるのか、どう書いたらシンプルなコードとなるのか。
鬼のS田さんというエキスパートエンジニアの方に、コードの書き方を褒められて鼻高々!
鬼のS田さんは覚えているかわかりませんが、私はこれが結構嬉しかったんです。
少し自信がついた案件でもありました。
最後まで関われなかったのは残念で仕方ありません。
■VB言語を使った製造系の勤怠管理システム
テンダでは初のSESで外の会社にでてました。
お客様先に常駐してのお仕事でした。
SESって、ちょっとした転職をした気分になるので私は嫌いではないです。
派遣のようなものですかね。
でも、長く外に出れば出るほどテンダに属しているという意識は薄くなってしまうのがSESです。
私は数か月だけでした。仙台支店は、なるべく受託とか社内で働くことができるように動いています(はず…)
私の中ではVBはちょっと古臭い言語という認識でした。
これも、もちろんがっつりやったことがある言語ではなかったのですが、
1つの言語を習得すると、大抵の言語はコツをつかめば出来るもんなんです。
ここで私の初体験!
お客様の工場へ仕様の打ち合わせにいったのです。
車で高速に乗って工場までいき、実際作成するシステムを使う現場をみたわけです。
仕事中に外へ出る経験が少なかった私には、とても新鮮な体験でした。
営業さんみたーい!なんて思っていました。
途中、有名なラーメン屋さんに連れていってもらったり。それも楽しかったです。ふふ。
私たちのシステムを使うお客様と直接お話をして、これから作るシステムにお客様が何をのぞんでいるのかを汲み取るのが、システムエンジニアの仕事のひとつ。
私は、テンダに入ってはじめて、その経験ができました。。
文系大学出身の私は、技術だけだったら理系の学校を出た人には負けます。
でも、保育士になるための授業で学んだ心理学やコミュニケーション能力があるから。
お客様とのやり取りは理系には負けないぞ!(という気持ちでいる)
ここから、お客様とのやりとりも増えて、自分の武器は何なのかが分かり始めてきた頃だと思います。
システムエンジニアになってから影響をうけた人々
■最初の会社の私のOJTをしてくれた7つ上の女性エンジニア
鹿児島出身のかっちょいい女性エンジニアのお姉さまでした。
髪の毛が腰までの長さで、頭のてっぺんでキュッと縛ったポニーテール。
パンツスーツにヒールをはいて颯爽と歩く姿は惚れ惚れとしました。
性格もサバサバしており、バサッと怒られたことも多々ありますが、私がミスをしたときは守ってくれる人でした。
7年後、私もこのお姉さまのような素敵エンジニアになっていたい!!
その7年後の年齢をすぎた私ですが、、、少しは追い付いているのかな。。
この方のように、後輩を守れる先輩になれているかなぁ。
■アプリゲーム開発のアイデアと美的センス抜群の男性エンジニア
性格は少し難ありでしたが、iOSの技術力は本当に素晴らしく尊敬しているエンジニアの方です。
企画力もすごく、別会社のアプリゲーム企画に企画書を応募して入賞するぐらいの素敵な発想の持ち主でした。
美的センスが洗練されていて、ゲーム開発を行うときの色使いや好み、考え方などは、とても刺激されました。
前回の記事でも紹介した「爆走!ハシビロGO→!」という私が開発したアプリを作ることに影響を与えた方でもあります。
この方がいなければ、iOSアプリ開発者になっていたかどうか。
まとめ
他にもいろいろ関わった案件はあるはずですが、記憶が曖昧です(笑)
全ての案件が成功しているかというと、そうではないです。
むしろ、失敗ばかりでは∑(゚Д゚)
会社的にはダメかもしれませんが、失敗してもいいと私は思います。
私は、今までのの失敗が糧になり、少しずつ失敗しないためのスキルを身につけていきました。
炎上せずに終えられたときほど、自分を誇らしく思えた時はありません。
自信につながります。
今でも失敗します。
失敗して改善して失敗して改善して。
まだまだ発展途上な私です。
未熟者です。。。まゆゆです。。。
次回、次回こそ!!まゆゆ、母になる。後編
・妊娠しながらのお仕事
・切迫早産の危機
・産休